神出鬼没 (8/11)
「別に名前にこだわっていたわけじゃないんだ……もっと根本的な理由。俺はヨシキを愛せなかった」
大貫は娘の目を見た。
奈子は2度ほど頷いた。
「奈子、お前はいつから知ってたんだ」
「いつからって事はないよ。強いて言うなら美月が産まれて、その考えが間違ってないんじゃないかって思った」
「そうか……奈子、その考えは間違ってない」
「じゃあやっぱり……」
彼女の目は大きく見開かれた。
瞳が揺れている。
大貫はため息をついた。
「そうだよ、ヨシキは俺の子どもじゃない。確たる証拠はないけどな」
本当は自分の子どもかどうか、確かめる勇気が無かっただけだ……
息子が成長するにつれ、確信に変わっていったというのが近い。
長い沈黙が続いた。
狭い部屋に重い空気が沈殿した。
閉じられていた襖がゆっくりと開いた。
大人の嫌な雰囲気を察したのだろう、美月が和室から顔を出した。
こちらの様子を伺ってから、母親の元へと駆け寄ってきた。
「美月、ごあいさつは?」
奈子が優しく促す。
自分の娘が人の親になったのだと実感した。
美月は奈子が座っている椅子の影に隠れた。
奈子が苦笑しながらもう1度言葉をかける。
「美月、ジイジにコンニチハ……まだ挨拶は慣れてないみたい」
言葉の後半は大貫に向けられたものだ。
ジイジと呼ばれ、今、目の前にいるのが自分の孫だという事を認識した。
生まれてきたヨシキにも同じような感情を抱いたような気がした。
「美月ちゃん、今いくつだい?」
それが孫に発する初めての言葉だった。
しかし、返事は返ってこなかった。
その代わり、美月は顔を半分ほど隠したまま手をこちらに向けてきた。
そしてぎこちなく、指を3本立てた。
「そうか、3歳か」
大貫は自然と笑みがこぼれるた自分に、こそばがゆさを感じた。
嬉しい、という感情などいつ以来だろう……
「もうすぐ4歳なんだけどね」
奈子はテーブルに頬杖をついた。
「今はお金、どうしてるんだ?」
ふと疑問に思った事を口にした。
夏江はパチンコだというし、3歳の子どももいる。
今も孝俊が資金を援助しているとは考えにくかった。
言い辛そうに唸ったあと、奈子は口を開いた。
「今は、別の人がお金を……もちろん私もママも働いてるんだけど」
「別の人?誰なんだ?」
ついつい詰問口調になった。
奈子は大貫の緊張感を持った尋ね方に対して、慎重な口調で答えた。
「それが……地村くん。なんだよね……」
そう言って奈子は苦いものを噛んだような顔をした。