J000 世田谷 ツバキ (108/135)
直後、快音とともに「キャゥッ」と鳴く犬の声。
アーデルがやられたか。それでも僕は、振り返らずに走った。
「港選手走ったァ!」
「がッ!」
しかし、タキオの足は速かった。すぐに追いつかれ、首筋が突っ張るほどに後頭部を殴打された。割れた眼鏡が、肥料臭い地面に落ちる。
後頭部が刺されたように痛い。触ると、髪がぬめりと濡れていた。
「バント、とみせかけてバスタァッ!」
「うっ、オッ!」
背中に吐き気をもよおすほどの痛み。ぼやけた視界の先に、黒い塊。少し動いた。あいつも、息はあるか。
ヴァンズのハイカットを履いた二本の足。見上げると、バットを担いだタキオが、僕を見下ろしていた。
「言えよセンセー。勝負を申し込む、てさ」
僕は奥歯から出る血を飲んだ。
「しょ、勝負は開始したんじゃ……」
タキオは口からSCMを取り出し、その場でぐにゃりと曲げ、引き千切って見せた。
「な、なにを……」
僕のアゴの下に、粉々になった欠片が落ちる。チップ、シリコン、針……いや違う。これはSCMじゃない。
タキオはせせら笑う。
「へ、は! 傑作だ! 気づけよセンセー。何かに使えるかと思って作った飴細工だよ。幾つか作ったけど、結局ネットで高く取り引きできると聞いて他は売っちまった」
……荒川エイアとリュウオウ、そして僕の勝負に参加したというのは、嘘だったのか。
「ほら、勝負を申し込め、よッ!」
「ひっ、がっ! あっひ!」
今度は腿に電撃が走る。タキオのバットが、何度も僕を襲った。
「む、無理だ! 今、僕はリュウオウと勝負している! 勝負中は無理なんだ!」
それが僕にとって最後の絶対防衛ラインであり、苦痛の延長を物語る縛りだった。