過去、未来。 (6/6)

「先生、ありがとうございます」


「頼んだわよ、なっちゃんのこと」

あなただけが頼りよ……
彼女を守ってあげて。



「この事件に巻き込まれて1番かわいそうなのは、生まれてきた子どもです。僕が必ず守ってみせます」



そして、なっちゃんの子どもが女の子で、美月という名前である事を教えてくれた。



「それじゃあ、またお見舞い来ますね。早く復帰できるといいですね」



「ありがとう。地村君も仕事頑張ってね」



私は病室を出て行くたくましい後ろ姿を見送った。
少し気持ちが晴れやかになった。




窓の外に目を向ける。
青い空に白い雲がゆっくりと流れる。


いい午後になりそうだ。


そう思ったのも束の間、招かれざる客が現れた。



「こんにちは、佐倉先生」

病室に入ってきた人物の顔を見てうんざりした。



「また来たんですね……」

わざと無愛想に対応した。



「身体の調子はいかがですか?」

そう問いながら彼はさっきまで地村君が座っていた椅子に腰を下ろした。

嫌味のない笑顔で問いかけてくるのは、青野刑事だった。
捜査の合間にここにやってきているという。
大貫刑事に休憩してこいと言われているらしい。



病室を訪れては、私が襲われた時のことを事細かに質問してくるのだ。


話せることは全て話した。



「今度は何を聞きに来たんですか?」



「先生が襲われた時のことに決まってるじゃないですか」

青野刑事は、まるで楽しいことを話しているかのように爽やかな笑顔を浮かべている。


「もう全部話しました!」

私は寝返りを打ち、そっぽを向く。



「いやいや、もうちょっと詳しく聞きたいんですよ、先生」



「だから何をですか」



「覚えていること、なんでもいいんです。お願いします」

彼の言葉からは申し訳なさが伝わってくる。



「……」

無言の抵抗をした。
我ながら、この人の前では子どものようになってしまうのが情けない。

歳が同じくらいだからだろうか。



「犯人については本当に何も覚えていないんですか?」

明るく問いかけてくる。



「私、そう言いましたよね」



「本当に覚えていないんですか?他のことは覚えてるのに」




確かに私は襲われた状況は詳しく話した。
手足を拘束され、布で口を覆われ水を掛けられたことなど。



「覚えてないことをどうやって話すんですか」

青野刑事が病室にくるのは今回で3度目。
2度目からは進まないやり取りを繰り返していた。



「佐倉先生は、犯人については都合よく覚えてないですよね…… 」

彼が呟いた。



「……」

確かに犯人のことについては一切話せていなかった。
私が警察に犯人が誰かを教えたとする。

その事を犯人が知ったら、まだ私が生きていた事を犯人が知ったら、私はどうされるかわからない。
そう思うたび、あの恐怖が蘇る。



地村君には罰を受けないといけないと言ったが、やはり死ぬのは怖い。




「佐倉先生、また被害者が出たらあなたのせいですよ」

私は思わず青野刑事の方を見た。
先ほどまでとは一変して鋭い目つきになっていた。

口元には笑みすらない。



「明らかにあなたは犯人を隠している。知っていることは話してください」



「……私に隠すメリットがあるん……」



「僕があなたを守ります」

私の言葉を遮って彼はそう言った。


「だから何も恐れることはありません」



図らずも私はその言葉に心を打たれてしまった。
彼は私が隠し事をしていることを見抜いていたんだ。

刑事としてではなく、1人の人間として言ってくれている。
そう感じた。




私は観念し、犯人の特徴を伝えた。
そして犯人が私を襲った際に言っていた台詞もそのまま話した。

その台詞から白神奈子の弟であることが導き出せるということも明かした。




「話してくれてありがとうございます」

彼は私が隠し事をしていたことを責めることもなく、明るくお礼の言葉を述べた。



「捜査、頑張ってくださいね」



「ええ、もちろん。必ず犯人を捕まえてみせます」

そう言って青野刑事は立ち上がった。
病室を出て行く。

そしてドアの前でこちらを振り返った。



「それではお大事に。あの佐倉先生……」



「何でしょうか」

私は彼の顔を見つめた。



「事件が片付いたら事件以外のこと、お話しましょう」

そう言って爽やかに笑った。



突然の申し出に言葉が詰まる。
本気で言っているのか社交辞令なのかわからない。



などど考えているうちに青野刑事は「じゃあ」と片手を挙げ、病室を出て行った。




今日という日が過去になった時、私の隣には彼が……

そんな未来を思い描いた。







どんなに悲しい事件が起きても、人は明るい未来を望んでもいいんだ。




そう思うと、心身の傷が少し癒えた気がした。